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◎【沿線散歩】玉淀周辺 「これほど雄大な眺めを持った峡谷は他にない」

 「沿線散歩」を終着駅付近から始める。休日、筆者の東京への通勤の起点である柳瀬川駅から寄居駅まで行き、「玉淀(たまよど)」と「鉢形(はちがた)城跡」を歩いた。

 玉淀まで約十分。川原に下りて、静かに流れる荒川と、対岸の崖の上にある鉢形城跡の森を眺めた。川原にはバーベキューを楽しむ人、川の中には釣り人や水遊びをする人の姿があった。

 玉淀とは、「玉のように美しい川のよどみ」との意味で、荒川が秩父山地から平野部に流れ出る際によどみができたという。昭和十年に県の名勝に指定され、文豪の田山花袋は紀行文「秩父の山裾」の中で、「東京付近でこれほど雄大な眺めを持った峡谷は他にない」と激賞した。ややオーバーな表現かな、と思いつつ、そばの正喜橋を渡ると、そこは鉢形城跡の一部だ。

 荒川とそれに合流する深沢川に挟まれた断崖の上に築かれた城――砦(とりで)のイメージに近い――で、一五九〇年(天正十八年)の秀吉の小田原攻めの際に、攻められた側の後北条氏の拠点の一つだった。

 前田利家らに包囲されて1カ月余り籠城したのち、城主の北条氏邦(うじくに)は、城兵の助命を条件に城を明け渡した話は有名なようだ。

 九七年から〇一年までの発掘調査のあと、鉢形城公園として整備された。史跡は二十四万平方メートルに及ぶ。歩くと、規模の大きさを実感する。

 「秩父曲輪」(ちちぶくるわ)――曲輪は、城の中の石や土塁、堀で囲った区域のこと。ここは重臣、秩父孫次郎が守った――と伝えられる場所で、復原された四阿(あずま)から、庭園跡や石積み土塁を見渡す。ここで宴を張ったのかも。鉢形城歴史館(〇四年十月開館)で得たばかりの知識をもとに往時に思いを馳せる。

 城の中心部の「本曲輪」には、武者小路実篤の筆になる、花袋の漢詩碑がある。「襟帯山河好 雄視関八州 古城跡空在 一水尚東流」。帰宅して辞書を引くと、襟帯は、山河に取り囲まれた要害とある。要害を囲む山河は好(うつく)しく、ここから雄然と関東一円ににらみをきかした。その古城の跡はむなしいが、そばには一筋の川が、往時と同様に静かに東に流れている――。詩情豊かで、雄大に見えてきた。
(志木市在住 周防洋)

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